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Channel: オカルト評論家 山口敏太郎のUMA図鑑
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【UMA図鑑(20)】攻撃性の強い怪人「スプリングヒールジャック」

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 この怪物はUMAというよりも、怪人という表現が最も適している。姿形は人間に近いのだが、跳躍能力や炎を噴霧する能力が人とは思えないのだ。

「スプリングヒールジャック」——かなり攻撃性の強い怪人である。

 何だか、名前が新春のデパートセールみたいなので、一時、筆者は「ジャンピングヒールジャック」というロックっぽい名前をはやらせようとしたのだが、あまり広がらなかった。

 この怪人の特徴は背が高く、体つきは痩せており、とがった耳、火の玉のような目玉を持っている。黒いマントを身に着け、警官のようなヘルメット、タイトフィットのズボンで身体を覆っていた。

 興味深いのは、鋭い金属爪(メタルクロウ)を指先に装着していたという点だ。「ヘルメット」「金属の爪」「攻撃性が強い」という性質はインドを騒然とさせた「モンキーマン」にも通じる。

 ジャックは女性に近づきその鋭い爪を使って、衣服を引き裂くのが目的であると推測されている。逃げ足は早く、異常な跳躍力を持って壁や家屋を飛び越えて姿を隠してしまうのだが、そのブーツのかかとに特殊なスプリングが仕込まれていると見られている。

 特筆すべきことは、ジャックはスムーズに英語を話すことが可能であるという情報である。

 ヤツが引き起こした当初の事件は、1837年10月に発生した「メアリー・スティーブンス事件」である。メアリーという名前の女の子がラベンダーの丘を歩いていたところ、ジャックに襲われ、着衣を切り裂かれている。

 この翌日にもジャックは出現。メアリーの自宅付近で女性の衣服を切り裂き、せせら笑いを浮かべ、9フィート(約2・7メートル)もの高い壁を飛び越えて姿を消している。

 1838年1月、ロンドン市長・サー・ジョン・コーワンはジャックの一連の犯行に関してコメントし、各地で自警団グループが結成されたが、その行動をあざ笑うかのごとく事件は続いていく。

 10代の少女が襲われた2大事件は深刻なケースであった。「ルーシー・スケール事件」と「ジェーンオールソップ事件」のことである。ロンドン・タイムズ(1838年2月22日)の報道によると、同19日の夜、ジャックは口から青と白の炎を吐きながら、赤い火の玉のような目玉を輝かせ、18歳のジェーンオールソップの自宅を襲った。彼女を自宅から強奪しようとしたのだ。

 この強奪事件は失敗に終わったが、9日後の28日、ルーシースケールと彼女の妹が、路上にてジャックに襲われた。ヤツは物陰から飛び出して、彼女の顔に青い炎を吐きかけた。一時的に視界を奪われたルーシーではあったが、大事には至らなかった。

 1845年のある日には、ジャックは大勢の人々が見守る中、橋から売春婦を投げ捨て、下水道で溺死させるという非道な行為に及んでいる。

 その後、60年近くイギリスから姿を消し、1904年にリバプールの街に再び姿を現した。

 このジャックの正体についてだが、1859年に亡くなった乱暴者の貴族ヘンリー・ウォーターフォード侯爵ではないかという説がある。ほかには、ドイツの空挺部隊との関連を疑う声もある。というのは、第二次世界大戦中、彼らが履いていたブーツのかかとの部分には、特殊なスプリングが入っており、それがジャックの跳躍力と関係あるのではないかと推測されているのだ。

 また。近年ではジャックはエイリアンそのものか、エイリアンが関与しているのではないかという説がある。

 なお、ジャックはイギリスだけではない。1880年7月にはアメリカに上陸し、ケンタッキー州で目撃談が報告されている。1939年から1945年にかけては、チェコスロバキアで「プラハのスプリングマン」という怪人の目撃が噂された。

 ジャックは現代でも暗躍している。2012年2月、スコット・マーティンとその家族はタクシーで旅行中、道を猛スピードで横切る怪人を目撃、その姿はジャックそのものであったとされている。

 

Click here to view the embedded video.

http://www.youtube.com/watch?v=NccvhENOv2s


【UMA図鑑(21)】「ネッシー」はプレシオザウルスの生き残りではなく未知の巨大生物?

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 かつてUMAの代表例といえば、ネス湖の「ネッシー」であった。別名「ロッホネス・モンスター」とも呼ばれており、世界中のUMA好きから愛されている存在である。

 その最古の出現記録は690年にアダムナンによって書かれたとされる「聖コロンバス伝」といわれている。

 1934年4月にロンドンの小児科の医師・ロバート・ケネス・ウィルソン氏とその友人が、イギリス最大の淡水湖・ネス湖にて、まるで太古の首長竜を連想させる怪物の写真を撮影した。俗にいう「外科医の写真」と呼ばれる写真である。この写真が報道されることにより、ネス湖の怪物・ネッシーは世界中に知れ渡ることになり、一大ムーブメントを巻き起こした。

 しかし、意外な真相が明らかになる。1993年11月にウィルソン氏の友人クリスチャン・スパーリング氏が死に際に遺言でネッシー写真に関する重大な証言をした。ウィルソン氏のネッシー写真は、おもちゃの潜水艦にヘビの模型を取り付けたものを浮かべたものを撮影したというトリック写真であったというのだ。

 この遺言により「ネッシー捏造説」が広がっていくのだが、たった1枚の写真のフェイクで全てのネッシー案件を否定するのは、合理的な思考ではない。ウィルソン氏がこのようなフェイク写真をでっち上げた理由は、過去に“本物の巨大な足跡”をネス湖湖畔で発見したものの、周囲にバカにされ、それを見返すためであったということである。

 また、この「外科医の写真」の元のデータは、かなり引いて撮ったアングルであり、肝心のネッシーが豆粒のように小さいのは明らかであった。故に、古くからUMAファンの間ではおかしいと指摘されていた。

 この「外科医の写真」の種あかしは、1枚の写真の謎が解けただけであり、ネッシーの謎そのものを解いたことにはならない。

 また2006年には、新しいネッシーの謎解きが提示されている。グラスゴー大学の博物館で働く古生物学者ニール・クラーク博士によると、「ネッシーの正体はネス湖で水遊びする象であった」というのだ。

 確かに、1930年初頭、ネス湖周辺には旅のサーカス団が巡業の合間に立ち寄り、動物たちを休憩させていたという。つまり、ネッシーの目撃事件とは、水浴びをしながら水中から鼻を出した象の誤認であるというのだ。

 だが、その説明は20世紀初頭の目撃情報の説明をしただけに過ぎない。近年の目撃情報の説明としては甘い。

 では、最近のネッシー事件の説明はどういうものであったら、問題ないのであろうか。考えられるのは、古代のプレシオザウルスの生き残りなどではなく、未知の巨大生物ではないだろうか。あるいは巨大魚の群れが誤認されている可能性もありうる。

 ひょっとするとかなり“地味な生物”が正体かもしれないが、そんな“地味なネッシー”でも愛情深く受け入れてあげる優しい気持ちが必要ではないだろうか。

 

■ネッシーの動画1■

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■ネッシーの動画2■

http://www.youtube.com/watch?v=dqg2iuG6NHo

【UMA図鑑(22)】岐阜・羽島市の長良川で目撃された「ハッシー」の正体

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長良川のハッシー

  11月現在、我が社は女流怪談師牛抱せん夏の怪談ライブや山口敏太郎の妖怪ツアーといった各種イベントを岐阜の長良川温泉泊覧会、通称長良川おんぱくにて行っている。岐阜で妖怪?と疑問に思う方もいるかもしれないが、岐阜は昔から妖怪の伝説が残っており、近代でも口裂け女の噂発祥の地であったりとなかなかオカルト濃度の高い地域ではあるのだ。また、実は会場となる長良川でも、巨大UMAが目撃されていたのである!

 1986年6月10日、岐阜県羽島市に流れる長良川にて、巨大な怪物が目撃されるという事態が起きた。目撃したのは当時の岐南中学校教頭の大堀氏と岐阜市厚見中学教諭の武藤氏。彼らが羽島市桑原町西薮の長良川右岸を車で運転していたところ、川の中に水面近くを浮き沈みする黒い背びれを発見、驚いた2人が車を止めて観察すると、川の中央にエイに似た焦げ茶色の巨大な影が浮かび上がってきたという。

 体長は2メートルほど、横腹部分が波立ち、三角形のヒレないしは手のようなものが生えていたそうだ。この謎の生物はしばらくして、悠然と下流に泳ぎ去っていったという。

 このUMA騒動は、目撃した人物が複数おり、また両名とも社会的地位のある人物だったこともあり、地元では大騒動になって目撃された場所の地名から「ハッシー」と名付けられた。

 目撃された箇所は海水魚が遡上できるほどの塩分濃度はなく、当時の学者はトドやアザラシ、イルカなどの海生哺乳類の誤認ではないかと見ていたようだ。

 しかし、近年になって淡水のはずの川に海水魚のエイが住み着くというケースが日本で報告されている。

 2008年の春、徳島県徳島市の中心部を流れる新町川に海水生のエイ、アカエイの群れが姿を現して話題となったのである。長良川のハッシーも、もしかすると汽水域から淡水域に適応し、成長したエイだったのかもしれない。

 残念ながらハッシーが目撃されたのはこの1回きりだが、もし彼らが繁殖することに成功していたとしたら、いずれ我々の前に第2、第3のハッシーが現れるのかもしれない。

 

■アカエイ動画■
<徳島のアカエイ>
<巨大アカエイ>

【UMA図鑑(23)】奇怪な足跡の「ガタゴン」は新種の生物なのか?

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 1992年6月26日、岩手県山形村の茅森さんは畑で見慣れない足跡を発見した。それは、どう見ても近くに生息する野生動物のものとは異なる奇怪な形をしていた。

 大きさは長さ22センチ、幅15センチ程度。指は4本、土踏まずの部分が大きくえぐれた形というか、指と反対側、かかとの方にもう一本の指が生えたような形をしており、畑から草地まで約20メートルほど数十個の足跡が続いて残されていたという。

 この足跡の正体を確かめるべく、地元役場や愛知県の日本モンキーセンター(京都大学霊長類研究所が隣接)に問い合わせたが、結局正体は分からずじまいだった。

 しかし、この事件をきっかけに地元ではその足跡の主を、発見場所の地名である山形村から「ガタゴン」と命名。広島県の類人猿系UMAの「ヒバゴン」よろしく、村おこしが始まったのだ。

 ガタゴンキーホルダーやガタゴンの足跡Tシャツといった関連商品の販売をはじめ、道の駅「白樺の村やまがた」では屋根の上に「ガタゴンの卵」オブジェが設置され、駅の施設名称に「ガタゴンサライ」と名付けられるなど、その範囲は多岐にわたる。

 また、毎年8月にはガタゴン祭りが開催され、祭りでは大きなガタゴンの卵を山車で引き、太鼓や流し踊りが続くにぎわいを見せるのだそうだ。

 余談ではあるが、ヒバゴンも「ヒバゴンのたまご」という名前にちなんだお菓子が販売されている。こういったUMAは卵から生まれるものだと考えてしまうのはどこでも同じなのだろうか。

 なお、あまり知られていないことであるが、実はガタゴンの目撃証言は古くから存在したようである。地元で起きた話題を記した「続々いわて怪談奇談珍談」(岩手日報社)には、1960年代と思われる時期にガタゴンと同じ形状の足跡が目撃されるという事件が掲載されている。

 30年前にも同様の報告があったということは、このガタゴンはいまだ知られていない新種の生物なのかもしれない。ゴリラも発見され、種として認められたのは20世紀に入ってのことである。もしかすると、日本の山奥には今も未知の生物が息づいているのかもしれない。
■関連動画■

【UMA図鑑(24)】富山・魚津市に出現した巨大猫は飼い猫の突然変異体か?

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  日本がかつて大陸と陸続きだったころ、日本列島にも多くの山猫がいた。現在は沖縄の西表島に生息するイリオモテヤマネコ、対馬に生息するツシマヤマネコしか残っていないが、本州にも山猫が生き残っている可能性は高い。

「山のふしぎと謎」(上村信太郎)によると、1968年12月8日、富山県魚津市貝田新の住民・山田源平氏が山中で茶色い大型の猫に襲われた。たまたま持っていた2メートルの棒で打ち殺したが、体長68センチ、尾の長さ22センチもある巨大な猫だったという。

 念のため、富山県の林政課は国立科学博物館に鑑定を依頼したが、結果はイエネコが野生化したものだという結論で落ち着いた。

 また、谷川岳でも1951年に肩ノ小屋という山小屋の元経営者、吉田貞次氏によって山猫が目撃されている。

 日本で山猫が生息している地域でも、過去には現存種と違う巨大な山猫の目撃証言があり、西表島では「ヤマピカリャー」、対馬では「トラヤマネコ」と呼んで区別していた。目撃証言も複数あるだけに、もしかしたら山猫が絶滅を逃れて山奥で生活しているのかもしれない。

 また、それ以外の説として、イエネコから発生した突然変異体がこの山猫ではないかとするものもある。飼い猫は野生化すると、個体のサイズが1・5〜2倍に大きく成長するという報告があり、英国に現れる大型の猫UMAであるABC(エイリアン・ビッグ・キャット)も野生化した元飼い猫の可能性が高いとされている。

 また、大型長毛種の飼い猫のメインクーンは、野生化した猫とアライグマの混血によって生まれたものであるとする説がある。最近、日本でもペットから野生化したアライグマが畑や建築物を荒らすという被害が報告されている。一連の山猫もイエネコとアライグマの混血種だった可能性がある。

 日本ではひそかに新種の山猫が生息範囲を広げているのかもしれない。

 

■関連動画■イリオモテヤマネコ

■関連動画■メインクーン

http://www.youtube.com/watch?v=lkvj_w4vOec

 


【UMA図鑑(25)】男性ばかりを襲うゲイUMA「ババボワ」

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  UMAが最近、静かなブームになりつつあるが、中には変わり種も存在する。なんと男性ばかりを襲い、巨大なチン○ンで犯してしまう“ゲイUMA”がアフリカに出現しているという。

 その名も「ババボワ」、いかに生殖器のようないやらしい名前だが、もともとは日本の妖怪のように伝承上の存在であった。だが、1972年に突如、リアルな生物っぽくUMAとして出現。その後も度々目撃され、被害者は増加の一途をたどった。その出没件数は、80年代がピークであったが、2000年代に入っても出没は続いている。

 驚くべきことは、被害者のインタビュー映像や出没地域の動画も踏まえ、BBCやロイターで報道された点である。このババボワは思ったよりも、国際社会で顔が売れているようだ。

 現在、このゲイUMAの出没地は東アフリカの国であるタンザニアのダルエスサラームという町、バガラという村、ザンジバル諸島のペンバ島の中央部がメーンであると推測されており、その被害地域は広がりつつある。

 ババボワの容姿だが、それはそれは醜悪である。コウモリのような翼、ドワーフのように小さな体、鋭い鉤爪(かぎづめ)、とがった耳、大きな単眼、そして足と見紛う巨大なペニスを持つといわれている。そして、深夜虚空を静かに飛んでは、肉欲のターゲットのもとに飛来するという。

 また、この怪物は変身するようで、昼間はごく普通の人間の姿をしておりまったく見分けがつかないが、夜になるとババボワとして怪物化するのだ(これは単に変質者が夜になると性癖を現すという意味ではないのだろうか)。

 また、ババボワはどんなに戸締りをしていても家屋に侵入し、女性には目もくれずベッドで眠っている男性に接近、無理やりソドミー(肛門性交)をしかけてくる。己の巨大なペニスで嫌がる男性を何度も犯すのだ。なんとも、想像するだけでおぞましいUMAである。

 この恐るべき怪物ババボワに犯されないためには、いくつかの対策が講じられている。就寝前にコーランを唱えたり、寝る前に全身に豚の脂を塗りこんでおくのが良いとか、たき火の横で寝るとか、女装して寝ると良いとか言われている。対策まで女装というアブノーマルな行為が含まれているとは、いやはや驚きである。

 最近では、ババボワの正体は政治活動家であるとも言われている。総選挙の直前などの政治的緊張が高まると、姿を現すという理由からだ。時には選挙の妨害や投票の誘導を行うことがあるといわれている。となるとますます人間臭くなる。

 アフリカの政治テロリストやゲリラの中には、女性だけでなく男性も犯す凶暴なヤツも存在すると言われており、テロリストに犯された男性がショックのあまり、脳内や精神内で作り上げた架空のUMAがババボワではないだろうか。

 つまり、男性でありながらテロリストに犯されたという屈辱的な現実が受け入れられず、脳や心が己の精神状態を維持するために「怪物に犯されたのだから仕方ない」という空想のストーリーを作り上げたのではないだろうか。

 よくよく考えて見ると、ババボワの巨大な一つ目は“巨大なペニスの穴”の象徴のように見えてならないのだ。

 ゲイUMAババボワは、今日もアフリカの人の心の闇を飛行するのだ。

 

■関連動画■

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【UMA図鑑(26)】シンガポールの猿人「ブキティマモンキーマン」

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探偵小説・オラン・ペンデク奇譚/香山滋

 最も近代的な都市といわれるシンガポールに類人猿UMAが存在するといったら驚くだろうか。その名は「ブキティマモンキーマン(Bukit Timah Monkey Man)」。略してBTMMもしくはBTMとも呼ばれる猿人である。

 体長は1メートルから2メートルであり、全身が毛に覆われており2足歩行が可能であろう。体色は灰色であり、俊敏に動くといわれているのだ。

「あのコンクリートジャングルのシンガポールのどこに類人猿に出没するのか?」と不思議に思うが、シンガポールには有数の森林地帯のブキティマ地域があり、そこに潜んでいるとされている。そのエリアは都心からちょうど12キロに位置し、1・6平方キロメートルであり、亜熱帯雨林のジャングルで多くの動植物が生息している。

 このUMAは現代のフォークロア系UMA「ニンゲン」や「くねくね」と同様のものと推測されるが、実は目撃例は古くからある。もともとはマレー半島に住むマレー族の民間伝承にも毛むくじゃらの猿人の伝説があるし、第二次世界大戦中、シンガポールに駐在していた日本兵の目撃情報もあった。

オラン・ペンデクの復讐 (1977年、現代教養文庫―香山滋傑作選<2>)

 記録に残る明らかな目撃事件は1805年に発生しており、最近では2007年の事件が新しい。07年に勃発した事件はシンガポールのタブロイドをにぎわした。その時、掲載された目撃情報を紹介しよう。

 48歳のタクシー運転手は夜中にブキティマロードにて人間の子供のようなものをひいた。その子供のようなものはボンネットに飛び乗り、負傷した腕を抱えてこちらをにらんだ。なんとその顔は猿そのものであり、驚く運転手をよそに素早く逃走してしまった。

 29歳の主婦は早朝171号線のバスに乗るためにバス停に向かっていた。霧の深い寒い朝であり、前方に人影が見えた。一瞬ホームレスがゴミ箱をあさっているのではないかと思ったが、接近した主婦に向かって、そいつは大声を上げ、森の方角に逃走した。その顔ははっきりと確認できなかったが、2足歩行で走り、全体的に灰色の毛で覆われていた。

 ブキティマの付近に住む65歳の老人は、子供のころから夜間はモンキーマンに出会うので森の奥に入るなと戒められたと証言している。また、以前、モンキーマンの足跡を見たことがあるが、強烈なにおいが印象的であったともコメントしている。

 この不可解な生物・ブキティマモンキーマンだが、正体に関してはマカク猿ではないかという説がある。カニ好きで有名なこの猿は、確かに容姿が似ており有力な候補だが、体長が38センチから55センチしかなく、ブキティマモンキーマンと体のサイズが違いすぎる。

 脳下垂体に異常のある巨大個体の猿ではないかということも考えられるが、もう一種類、チンパンジーやオラウータンサイズの未知の類人猿がブキティマに生息しているのではないだろうか。なお、付近のスマトラ島には「オラン・ペンデク」という類人猿系UMAがいるとされているが、関連があるのかもしれない。

 

【ブキティマ自然保護地区の動画】

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(シンガポール最高峰ブキティマサミットの下山風景)

【UMA図鑑(27)】人間に食べられたUMA「イノゴン」の正体

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  今年11月8日、体長1メートル、体重80キロの巨大イノシシが岡山県の市街地に現れ、警官70人が出動、捕獲されたというニュースが報じられた。

 近代化が進み、行き場を失ったイノシシがエサを求めて、市街地に現れるケースは数多く、神戸市では野生のイノシシにエサを与えることを禁止する「イノシシ条例」が制定されている。それほどまでに現代のイノシシ被害は社会問題になっているということだ。

 古くから日本ではイノシシの被害に悩まされおり「猪突猛進」という四字熟語にある通り、走るスピートが早く(時速40キロ)、パワーもあるため、人間が下手に近づくとけがをしたり、命を落とすこともある危険な動物なのである。

 さて、今回ご紹介するUMAは岡山のイノシシを超える体長1・8メートル、体重130キロのイノシシ型UMA「イノゴン」である。

 イノゴンは京都府綾部市高津で捕獲されたと伝えられており、口からは鋭い牙が生え、目は薄い青色で、目撃者によるとまるで黒いサイのような怪物であったという。

 見た目がイノシシに似ていたため「イノゴン」と命名されたのだが、見た目がイノシシそのものだったためか不幸なことに捕獲された後、現地のシシ肉店がイノゴンを解体し、おいしく食べてしまったのだという。

「未確認動物が食べられた!?」と一瞬、耳を疑う話であるが、UMAが食べられてしまう事例はまれであるが、報告されている。

 実際に海外の猿系UMA「モノス」は捕獲された後に人間に食べられてしまったという。日本ではイノゴン以外に食べられたUMAの報告はないが、あまり既存の動物に似すぎるというのも困りものである。

 さて、食べられたイノゴンであるが頭蓋骨のみが長く保管されており、兵庫県にあったテーマパーク、甲子園阪神パークの医長と兵庫大学により研究が進められた。

 その結果、イノゴンの正体とはイノシシの突然変異で毛が抜け落ちた突然変異であるという結論がなされた。イノゴンの正体は脳下垂体の異常によりホルモン分泌のバランスが崩れ、巨大化してしまったイノシシだったということだ。

 また、海外ではイノゴンのような巨大イノシシのことを「ホグジラ」と呼んでいる。これは「ホッグ(ブタ)」と「ゴジラ」を組み合わせた造語であり、日本に限らず海外でも巨大イノシシは「怪獣=UMA」として扱われている証しである。

 

■関連動画■

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【UMA図鑑(28)】ゴジラ誕生4年後に目撃された「南極ゴジラ」正体はいまだに不明

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 12月10日、ハリウッドで再リメークされる映画「GODZILLA」(日本公開2014年7月25日)の予告映像が公開された。併せてポスター・ビジュアルも解禁。予告映像にはゴジラの霧に包まれたシルエットと雄たけびも公開され、ゴジラ生誕60周年となる来年は、世界が久々の「ゴジラ・フィーバー」に沸きそうだ。

 かくいう筆者・山口敏太郎(1966年生まれ)もバリバリの“怪獣世代”で幼きころに「ゴジラ対ヘドラ」「ゴジラ対メガロ」「ゴジラ対メカゴジラ」などをスクリーンで鑑賞している。毎年、東映のまんがまつりを鑑賞すべきか、東宝のゴジラ映画を鑑賞すべきか悶絶して悩んだものだ。

 そんな幼年時代を過ごした筆者にとって忘れられない話がある。なんと筆者の地元・徳島県に怪獣・ゴジラと遭遇した人物がいたというのだ。

 それが1958年に第1次南極観測隊員を送り届けた海上保安庁「宗谷丸」の船長、松本満次氏が目撃した「南極ゴジラ」である。

 松本船長が目撃した南極ゴジラは、南極の水面から黒い頭をひょっこりと出し、馬か牛のような輪郭に頭頂部分が丸く猿のようにも見え、全身を覆った体毛は黒褐色で10センチほどの長さ、髪形は子供のおかっぱ頭のようにもみえ、大きな目、とがった耳が2つずつあったという。

 南極ゴジラが書かれた唯一の資料「南極輸送記」(著・松本満次、1959年・創元社発行)の「南極の七不思議」の4番目の項「ゴジラ」には目撃の詳しい経過が記されている。

 宗谷丸のブリッジでは、松本船長ほか数人の船員たちがくつろいでいた。時間はちょうど午後7時を回っていたが、思いのほか明るかったと記録されている。そのとき突如として、宗谷丸の先方に黒く巨大な物体が船の近くに浮かびあがったのだ。その物体と宗谷丸の距離は約300メートル、海の男ならば十分、目視観察できる距離である。

 当初は、先行する船の捨てたドラム缶ではないかという意見が出されたが、風速7〜8メートルの中で、空になったドラム缶が海面で垂直に立つわけがない。全員が凝視する中、その物体が宗谷丸の方に振り返った。

「すわっ、怪物か」

 一同が騒然となり、当直航海士はすぐ手元の双眼鏡で観察を続け、機関長は大急ぎで、自分の部屋へカメラを取りにいった。だが、戻ったときはもう、怪物は船の死角に入っており、撮影はできなかった。時間にして、約30秒くらいは見えていたという。

 このとき松本船長は海上保安庁へ無線で報告をしており「南極に怪物現る」というニュースはマスコミに知らされ、帰国時の記者会見で質問が出るほどだった。

 松本船長が南極で怪物を目撃したのが1956年、東宝の「ゴジラ」が公開されたのが1954年のため、怪物の名前は松本船長自ら、南極ゴジラと発表した(当時は「怪獣」の名称はすべて「ゴジラ」となることが多かった。「テレビゲーム」=「ファミコン」のようなものである)。

 さて、「南極ゴジラ」の正体であるが、同船に乗船していた観測隊員の生物担当の吉井博士が目撃談を総合し、正体を結論づけようとしたが、結局怪物の正体がなんだったのかはいまだに不明のままである。

 

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【UMA図鑑(29)】島根で捕獲されたカンガルー似の未確認生物「ニタゴン」の正体

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  ツチノコ、イッシー、ヒバゴン…いずれも日本に潜む“謎の生物”としてかつてメディアに取り上げられ、人々の話題をさらった未確認生物たちである。現在は彼らのことが話題に上がらなくなって久しいが、それでは彼らのような未確認生物が、もう目撃されなくなってしまったのかといえば、さにあらず。近年でも発見や報告が度々なされている。今回は1990年代という比較的最近に目撃されたUMA「ニタゴン」を紹介したい。

 96年6月23日、島根県仁多町(現・奥出雲町=2005年に仁多町と横田町が合併して誕生)三沢の新しい住宅団地で、散歩中の近所の住民がウサギのようにピョンピョン跳ねて移動する動物を発見。その後、山の斜面を登る途中で何度も転ぶなどしてうろうろしていたため、近所の住民が捕獲。地元の警察、三成署に届けられ、仁多町で発見された未確認生物なので「ニタゴン」と名付けられた。

 ニタゴンは体長40センチほど。長い体毛がなく、全身の肌が露出しており、色は茶色で顔はシカやイヌに似ていた。手足は非常にやせ細り、口には鋭い牙を備え、耳は大きめで上に向かって立っていたという。姿形から一時はカンガルーではないかともうわさされ、本来その場に生息していないはずの生物が出現・目撃される現象“テレポーティング・アニマル”説も出た。

 ニタゴンの場合はどうなったかというと、野生動物保護の見地より、県の農林振興センターに預けられ、6月25日には大田市にある博物館にて鑑定が行われた。その結果、ニタゴンは生後3か月ぐらいの赤ちゃんキツネであると判明。皮膚病にかかって毛が抜け落ち、親とはぐれてしまったところを人間に保護されたようだ。なお、ニタゴンは保護されている間、ミルクをよく飲み、カマボコと豚肉を好んで食べていたようである。

 ひょんなことから未確認生物になりかけたニタゴンであったが、その後の消息は伝わっていない。願わくば健康体になって、無事に山に帰ったと思いたいものだ。

 

■関連動画■オオカンガルーの赤ちゃん

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■関連動画■キツネの赤ちゃん

 http://www.youtube.com/watch?v=lRcqHLLBIqI

【UMA図鑑(30)マレーシアの邪悪な小型生物「トヨール」

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  この怪物の名前は「トヨール」と呼ばれており、東南アジアのインドネシア、マレーシア、タイ、シンガポールなどに出没すると言われている。小型のヒトガタの怪物で、家屋に侵入したり、他人の物を盗んだり、数々の悪さをする邪悪な小型生物である。その容姿は異常であり、赤ちゃんのような大きな頭部、小さな手、白濁し、ところどころ緑がかった肌をさらし、全裸で歩いているらしい。

 日本のメディアではほとんど紹介されておらず、現地の資料をもとに、今回かなり詳しい情報まで紹介しよう。

 日本や欧米と違って、まだまだ東南アジアでは、民話や伝説上の生き物である幻獣と、もし捕獲された場合には生物図鑑に収録される未確認生物が分化されていない。この「トヨール」はどちらかというと、幻獣に分類される存在である。だが、現在でも東南アジア各国の雑誌に出没事件が掲載され、実際に見たと公言する人物も多い。

 なお、呼称は各国で違うようで、タイではオスを「コマン・トング」、メスを「コマン・レイ」と呼ぶ。フィリピンでは「ティヤナック」。カンボジアでは「コーエンクロー」と呼ばれている。

 このトヨールはどうやって生まれたのであろうか。諸説あるのだが、インドネシアシャーマンやマレー魔女たちが、胎児や流産した赤子を使って黒魔術をやることで生まれたという伝承が有名である。

 黒魔術の悪影響で、赤ちゃんが怪物化するという設定は、米国の有名UMA「ジャージーデビル」の伝承と似ており、大変興味深い。

 

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【UMA図鑑(31)】昭和のトラウマ「フラットウッズ・モンスター」

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「フラットウッズ・モンスター」は、日本では「3メートルの宇宙人」という異名でも知られている。ちなみに、米国では「10フィートモンスター」と呼ばれている。昭和のオカルト子供本には必ず掲載されており、かくいう筆者もトラウマになった記憶がある。

 正体は不明なままで、宇宙人本にも、UMA本にも収録されている怪物である。

 身長は3メートル超でロボットのような四角いボディーを持ち、体は緑色っぽく、真っ赤な顔に、スペード型か修道女の制服のような形の被り物を被っていた。巨大な目は青みを帯びながらオレンジ色に輝き、「シューッ」という奇妙な音を立てて、鋭いカギ爪のある指をしていた。また、腰から下は襞のある緑の衣服を着ていたとされる。

 この怪物の出現事件により、ウエストバージニア州ブラクストン郡フラットウッズという人口数百人の田舎町は、全米から注目され数千人の見物客が押し寄せるパニックとなった。

 事件の発端は1952年9月12日午後に遡る。燃えさかる飛行物体が空を横切り、エルク川沿いのガサウェイの町付近に落下した。午後7時15分ごろ、学校の校庭で遊んでいたエディ・メイ(13)とフレッド・メイ(12)の兄弟は、フィッシャー氏の所有地の丘の上にこの物体が着陸する様子を目撃、自分の母親に報告した。

 メイ兄弟と母親は近所の子供たち、ネイル・ナンレイ(14)、ロニー・シェイバー(10)、トミー・ハイヤー(10)、ウェストバージニア州兵のユージーン・レモン(17)の4人に声を掛け、計7人で、レモンの犬一匹を連れて現場のフィッシャー氏の農場に向かった。

 近づくと、丘の頂上右手15メートルほどの場所に、直径約5メートル、高さ約1・8メートルの火の玉のような巨大な物体が燃えていた。付近には刺激臭のある霧が立ちこめていた。そんな中、闇の中に動めく物体に気が付いたので、ライトを向けてみた。そこに姿を現したのがこのフラットウッズ・モンスターだったのである。

 パニックになったレモンは一番に逃走、一同はパニックになって逃げ出したが、刺激臭のある霧を吸ったためだろうか、激しい鼻の痛みや、ひどいのどの腫れに長い間悩まされたという。この騒動を聞いた現場近くに住むマックス・ロッカード氏が愛車で現場に急行したが、怪物や光る物体も姿を消していた。警察も何も発見できなかった。

 翌日の9月13日、この事件の噂が一帯に広まる。地元の新聞社に勤める記者が現場を訪問したところ、スキーで滑った跡のような2本の溝とオイルのような液体を確認している。だが、この2本の溝はマックス・ロッカード氏の愛車のタイヤ痕だった。

 9月14日、この事件が新聞報道され、9月19日にはニューヨークのテレビショー「ウイ・ザ・ピープル」という番組にメイ兄弟の母親が出演する。この際に描かれたイラストが、「3メートル宇宙人」の有名なビジュアルを形づくった。後に、超常現象研究家の・グレイ・ベイカー氏がイラストを現場の背景と合成、あの衝撃写真が誕生したわけだ。

 このビジュアルの幻想は1990年、ジャーナリストのフランク・C・フェシーノ・ジュニア氏の現場再調査により打ち破られた。実際のビジュアルは、四角い体に赤く光る目玉のようなものがついているだけで、どちらかというとロボットのような雰囲気であったという。

 この事件に関しては、超常現象調査団体サイコップ(CSICOP)のジョー・ニッケルなど多くの人が検証している。まず少年たちが目撃した光る飛行物体だが、その日時、大型の流星が観測されており、隕石の落下の誤認説が唱えられている。

 また目撃者が見た怪物の赤く輝く目は、現場から見える航空障害灯か、木の枝に止まったメンフクロウではないかと推測されている。目撃者が感じた異臭は草の匂いであり、体調が悪くなったのは集団ヒステリーや恐怖からくるストレスによるものだと言われている。

 この巨大な怪物は果たして、単なる妄想・幻覚であったのか、それとも何らかの生命体が存在したのか…。

 

■関連動画■

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【UMA図鑑(32)】紙幣にもなった南米の人気水棲怪物「ナウエリート」

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 水棲UMA「ナウエリート」は、南米のアルゼンチンでは知名度が高く最も有名なUMAの一種であり、別名「パタゴニアのプレシオザウルス」と呼ばれている。

 アルゼンチン南部のパタゴニア・バリローチェ地域は巨人伝説の残る風光明媚な場所だが、同所にある透明度の高いナウエルウァピ湖にナウエリートは生息すると言われている。

 その外見はネッシーに似た姿であり、体長は5〜40メートル。主に夜の湖で活動すると言われており、体は牛のような大きさで、小さい頭部や細長い首、コブのある蛇のような身体が印象的であるらしい。

 現地に伝承されるマプチェ族の神話の中にも登場しており、かなり古い時期から目撃されてきた怪物のようである。現代においても、アルゼンチンのメディアのスターとなっており、時折その動画や写真がニュースで流されている。

 このナウエリートが世界的に有名になったのは、2006年4月17日に、サンカルロス・デ・バリローチェに社屋を構えるエル・コルディレラーノというローカル新聞社に、ナウエリートの写真が3枚持ち込まれた事件がきっかけだった。

 持ちこんだ人物は匿名希望の男性であると言われており、身元は定かではない。男は「面倒なことに巻き込まれたくない」と言い残し立ち去った。この写真が世界中に配信され騒ぎが広がった。

 だが、この写真に関しては懐疑的な意見が多い。およそ流木に加工を加え、ナウエリートに見せかけているだけではないかと推測されているのだ。その証拠に写真を見ても水面の高さや波が変化しているだけで、ナウエリートと思しき怪物はまったくポーズを変えていない。

 どちらにしろ、アルゼンチン国民にとってはアイドル的存在であり、日本で言うと河童やツチノコのような感じである。いまだに人気も衰えず、新聞や絵本、ぬいぐるみになっており、旧1ペソ札には湖面から首を突き出すナウエリートがデザインされていた。UMA界広しといえども紙幣に描かれた“豪の者”は、ナウエリートをおいては他にはない。

 19世紀から目撃事例があると言われているが、1910年、ジョージ・ギャレットが目撃した事例が歴史上初めての詳細な記録である。彼は湖畔から数百メートル離れた湖面に浮上しているナウエリートを発見したが、その体長は約5〜7メートルであり、水面からは首を2メートルほど出していたとされる。

 また、ブエノスアイレス動物園は1922年以来、目撃証言など存在の証拠を収集し研究しているが、間接的な証明しかできていない。1922年、ブエノスアイレス動物園のディレクター、クレメンティ・オネリー博士は正体不明の巨大な足跡と、何者かによってかみ砕かれた茂みや下草の報告を受けている。

 さらに現地のテレビ局サイファイチャンネルはナウエリートの存在について調査している。なお、マーティン・シェフィールドという名前のアメリカの金探鉱者は「白鳥のような巨大な首を持ち、ワニのような体を持っている怪物が湖に存在する」と証言している。

 このナウエリートの正体に関してはいくつもの説が出ている。巨大なウナギに近い生物だという説。また、60年間近く付近で連続して行われてきた核実験によって生まれた突然変異の生物だという説。他にも古代に生息していたイクチオサウルス説。古代クジラ説。プレシオサウルス説などがある。変わった仮説では、政府が隠す潜水艦説、ただの流木説なども唱えられている。

 ナウエリート、南米の熱いUMAをぜひ覚えてもらいたい。

 

■ナウエリート動画■

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【UMA図鑑(33)】山形・大鳥池の巨大怪魚「タキタロウ」

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資料館で展示されているタキタロウの魚拓と模型

 今回紹介するUMAは変わり種。長きにわたって目撃されており、時には捕獲され、食べられたという報告すらある、非常に生息の可能性が高いものを紹介する。

 その名は「タキタロウ」。山形県鶴岡市(旧朝日村)の大鳥池に生息するとされる幻の巨大魚だ。大きさは2〜4メートル、体色は茶褐色で斑点模様があり、体表面はぬめりがある。尾びれが異常に大きく下あごがめくれ上がっている。性格は貪欲で警戒心が強く、摂氏4度の水温を好み、日ごろは湖底にいると考えられている。

 人気漫画「釣りキチ三平」で「O池の滝太郎」として紹介され、アニメのエピソードにもなったことから全国的に名が知られるようになったが、地元では昔から生息が伝えられてきた巨大怪魚だった。

 名前の由来は発見者が瀧太郎だったという説と、大鳥池の主とされる龍神のタキタロウからとったとする説がある。また、昔は「タケタロウ」という別名で呼ばれていたともいう。

 初めてタキタロウの名前が文献に登場するのは1885年に発行された松森胤保「両羽博物図譜」の「岩名」の項目であり、「大物ヲ瀧太郎ト云五尺計ノモノ大鳥川ヨリ流レ来ルコト有ト聞ク」と記述されており、昔から名が知られていたことが分かる。大きな体は非常に脂が乗っていると言われており、昔は縁起物として食べられていたという話も残っている。

 非常に希少ながら度々大鳥池周辺で捕獲されていたようで、20世紀に入ってもタキタロウらしき魚の捕獲例が報告された。1917年には水門工事のためダイナマイトを使用した発破作業を池で行ったところ、巨大な魚が2匹浮かび上がってきた。複数の作業員が持ち帰ったそうだが、食べるのに4日もかかったとされている。

 また、1985年には刺し網に150センチほどの大型の魚がかかり、全国的なニュースになった。専門家に鑑定を依頼したところ、「アメマス系のニッコウイワナ」と「オショロコマに近いアメマス」という2種の回答が出てきたが、結局正体の判明には至らなかった。


 なお、アメマスとニッコウイワナは生物学的には同種(亜種)とされているので、おそらく限定された環境下で独自に進化したイワナの亜種がタキタロウの正体ではないかと考えられている。

 さらに大鳥池の近くにはタキタロウの剥製や魚拓、標本が展示されている「タキタロウ館」なる資料館も存在。今も多くの人々に存在を信じられており、実際に釣り上げることを願う釣り人達も多く存在している。

 2010年に、さかなクンが発見したクニマスの事例もあることだし、ひょっとしたら今後、本当に新種として見つかるのかもしれない。

 

【NHK特集「幻の巨大魚 タキタロウを追う~山形・朝日連峰の秋~」1984年11月30日放送】

(動画1)

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(動画2)
http://www.youtube.com/watch?v=jPyaMSHuoJc

【UMA図鑑(34)】いまや環境保護のシンボル「本栖湖のモッシー」

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 UMA(未確認生物)の代表格といえば、英国最大の淡水湖であるスコットランド北部のネス湖に出現するネッシーを思い浮かべる方も多いだろう。日本でもネッシーに酷似したUMAとして鹿児島・池田湖のイッシーや北海道・屈斜路湖のクッシーが知られている。今回紹介するのは彼らの兄弟分とも言える、富士五湖は本栖湖に生息するとされているモッシーだ。

 一説によると、モッシーは体長が約30メートルあり、背中にいくつかのコブを備え、ワニのようなゴツゴツした体をしている。顔もワニに似ているとの証言や、蛇に似ているという証言もある。

 モッシーは1970年代を中心に何度か出没しており、72年のケースでは早朝に湖の畔を散歩していた人が、突如湖面が泡立ち巨大な背びれが出現するのを目撃。背びれの主は目撃者のいる岸から50メートルほど近くまで接近した後、水中へと姿を消した。

 また、同じ70年代にはモッシーを捕獲しようとマグロ用の網を仕掛けておいたが破られた。魚群探知機に巨大な影が映ったなどの事例が複数報告されている。

 87年にはアマチュアカメラマンのY氏が富士山を撮影していたところ、湖面からコブのようなものが現れ、5〜6メートルほど湖面が盛り上がるのを目撃、コブが泳ぐ様子を撮影することに成功した。なお、水面下にはヒレが確認できたという。他にも神奈川県在住のN氏も同年にモッシーの撮影に成功している。

 モッシーの正体に関しては諸説あり、中でも有力視されているのが、一時期放流されていたチョウザメが限定された環境で非常に大きな個体へと成長したとする説だ。

 他にも昔から語り継がれている竜神の伝説と関係が深いのではないかとする説もある。現地には本栖湖の竜神が富士山の噴火を予言したおかげで天災を免れたという話も残っており、本栖湖は富士五湖の中でもっとも深く隣接する西湖及び精進湖と地下水脈でつながっているとする説もあるため、何らかの巨大生物が生息していたのではないかとする説もある。

 今ではモッシーは本栖湖のキャラクターとして定着しており、環境保護活動のシンボルキャラクターおみやげのグッズなどでその名を確認することができる。富士山や富士五湖の方に観光に行く方は、記念として購入してみてはいかがだろうか。

 

■関連動画■

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【UMA図鑑(35)】北海道・大沼に現れた奇妙な動物の正体はサイ?

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左からデューラー画、古今図書集成(中国)、和漢三才図絵

 北海道南部の秀峰駒ヶ岳を望む大沼には奇妙な動物が現れたという記録が残っている。

 万延元年(1860年)、蝦夷地で医学院及び薬園を運営していた幕臣の栗本鋤雲(じょうん)氏が江戸の医師に宛てた書簡にあったもので、そこには駒ヶ岳近辺で目撃されている不可思議な獣の詳細が記されていた。

 いわく、「大きさは雄の牛ぐらい(2〜3メートル程度か)、額に一尺あまり(30センチ以上)の角があり、時々鹿部川を泳いでいる。ウグイが上流へ遡上する時期なので、その群れを追って移動しているらしい。川を下る際には特に角がはっきり見えるという。水に大きな体を沈め、かなりの速度で進んでいく」。

 日本には昔も今も額に1本の角を備えた特徴を持つ大型獣が生息している(いた)という記録はない。あったとしても妖怪や幻獣など、伝説上の動物として報告されている程度である。

 では、この動物は何だったのか。書簡には以下のように続いている。

「私(筆者である栗本鋤雲)の友人であるイギリス人とフランス人の2人が見に行ったが、里の人はその動物を『山の神』と見なしており、口にすると祟(たた)りがあるかも知れないとして、何も教えてもらえなかったという。しかし、身体的特徴から、『サイ』に違いないとのことだ」

 確かに、全体的な大きさや身体的特徴、水辺に現れるところなどから推測すると、現存する動物としては東南アジアの森林地帯に生息するスマトラサイないしはジャワサイが近いように思える。しかし、どちらも高温多湿な地域に生息するため、果たして野生のまま日本の北海道で生き残れるのか、といった疑問は残る。

 同地には明治10年(1877年)や明治14年(1881年)にも奇妙な動物が現れたという報告が残っている。うち、明治14年に現れた獣は捕獲され、今まで北海道に生息していないとされていた猪に酷似した姿であったために学会を騒がせることとなった。

 この猪は「家畜の豚が野生化し、猪に近い姿になった」とする結論が出ていたが、北海道内の古代の遺跡からは猪の骨などが出土しているため、もしかすると本土に比べて数は少ないものの生息していた可能性はある。

 となると、この大沼に現れていたサイも猪と同じように昔から生息していたものだったのだろうか? 氷河期に生息していた原始的なサイ、ケブカサイであったならば北海道の厳しい冬も乗り越えられる可能性がある。

 大沼に現れた奇妙な動物は本物のサイだったのか。長い年月がたってしまったが、また我々の前に姿を現してほしいものである。

 

■関連動画■

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【UMA図鑑(36)】江戸川に生息するとされる謎の巨大魚「エディー」

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 以前、当コーナーで巨大魚のUMA「タキタロウ」を紹介させてもらった。自然の豊かな場所の大きな湖で、巨大魚が静かに生息している…というのも雰囲気があるが、実は都内を流れる江戸川にも2メートルものサイズの巨大魚が生息しているとしたら、読者の皆さんは驚かれるだろうか。

 江戸川には以前から何度か尾びれを水面から出して泳ぐ巨大魚の魚影などの目撃情報が複数存在しており、地元の自然観察クラブにより江戸川と有名な未確認生物ネッシーにちなみ「エディー」と名付けられた。

 なお、このクラブの機関紙には何度かエディーらしき巨大魚の写真が掲載されてもいる。

 エディーの正体はいずれも相当な大きさに成長するコイ科のアオウオないしはソウギョ、またはレンギョではないかと考えられているが、未知の巨大魚である可能性も否定できないという。

 なお、コイ科の巨大魚は戦時中に食料難への対策として中国大陸から国内に持ち込まれ、各地の河川に放流され比較的流れのゆったりした大型河川で繁殖していったとされている。

 しかし、ソウギョは河川での生息率が0・02%と低いため、巨大なアオウオがエディーの正体であるとする説が有力である。だが、アオウオの成長は初めの数年こそ10センチ単位のハイペースで大きくなるものの、徐々にそのスピードは落ちていくとされている。そのため、2メートルを超すサイズに育つまでは相当な時間がかかると考えられている。それでも、実際1990年代末期に江戸川の下流で釣り人が5人がかりで体長1・8メートル、胴回り80センチの大物を釣り上げたという報告も存在する。実在しない、とは言い切れないのだ。

 謎の巨大魚エディーは、今日も都会の川を悠々と泳いでいるのかもしれない。

 

■関連動画■山口敏太郎の携帯ルポ:江戸川のエディー

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【UMA図鑑(37)】「剣山のオロチ」はどこから来てどこへ消えたのか

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 1973年5月、徳島県の剣山近くに住むNさんたち3人は草刈り作業中、非常に巨大なヘビと遭遇した。作業中にふと気づくと、草むらの中から鎌首をもたげた大蛇が姿を現したのだという。その大蛇は口だけでも2・5メートルはあったとしている。

 さらにその数日後の5月26日、Nさんたちは再び町会議員のTさんも加えて大蛇を目撃することになる。この時に現れた大蛇は、首がプロパンガスのボンベほどもあり、体長は10メートルは下らなかったとされている。

 その後、剣山周辺では巨大なヘビの抜け殻や大蛇が通ったと思しき痕跡なども発見され、100人を超す捜索隊も結成されて大騒ぎとなったが、大蛇を発見するには至らず、その後どこに行ってしまったか分かっていない。

 剣山の大蛇については昔から目撃情報があったようで、山口敏太郎の叔母の縁者にあたる者が大正時代、狩猟中に遭遇したと聞いている。なお、この人物は大蛇に会った後、発熱し、3日後に死亡してしまったという。叔母自身は昭和初期の生まれで、その人物の臨終に立ち会った人物から直接聞いたと語っていた。

 日本のヘビの妖怪には、遭遇した後にその毒気に当てられてしまうケースが多い。文献によっては大蛇が光っているように表現しているものもあるため、大蛇目撃談は放射能を発して人体に害をなすUFO及びエイリアンアニマルと遭遇したものだったのでは、とする説もある。

 さらには、剣山には古代の英雄ソロモン王の秘宝が隠されているという伝説がまことしやかにささやかれており、70年代の大蛇騒動の際には「あの大蛇はソロモン王の秘宝を守護しているのだ」とするなんとも“トンデモなうわさ”が流れたりもしていた。

 なお、筆者の山口は70年代の大蛇騒動はサーカスや見世物小屋などで飼育されていた大蛇、アナコンダ等が何らかの要因で逃げ出したものではないかと考えている。実際、戦前戦後の日本では海外産の大蛇のような珍しい動物が見せ物として飼育されていた事実がある。ある時期からふっつりと姿を見せなくなってしまったのも、故郷から遠く離れた日本の気候に対応できず死んでしまったのではないかと考えられるのだ。

 

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【UMA図鑑(38)】徳島県勝浦郡勝浦町で捕獲された「トックリヘビ」はツチノコなのか

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  日本全国で目撃され、地方によって呼び名の変わる未確認生物「ツチノコ」。今回紹介する「トックリヘビ」もその数ある異名の一つなのだが、ここでは徳島県の勝浦町で発見されたツチノコの亜種(?)と思しきヘビの呼称として便宜的に使用する。

 1989年6月30日、徳島県勝浦郡勝浦町にて、地元住民のS氏が畑で丸く輪になっている不気味なヘビを発見。捕まえようとすると、そのヘビはまるでビール瓶のように太くなって素早く逃げ出そうとしたが、何とかして捕獲に成功した。ちなみにこの時、捕獲した個体はオスであった。

 さらに翌年、S氏はまたも奇妙なヘビに遭遇する。場所も前回ヘビを捕獲したみかん畑から数百メートルほどしか離れていないところで、再び捕獲に成功したという。今度は馬頭のヘビで9か月間の飼育にも成功。2度にわたり産卵を行い、合計30個も産んだという。

 この謎のヘビは現在も死骸をホルマリン漬けにした状態で保管されているが、その体長は約80センチ。小さな頭から細い胴が20センチ、その後に直径6〜7センチほどの太い胴が約40センチほど続き、尻尾はネズミのように細くなっている。

 このヘビは結局、写真ではヤマカガシの変種と判断されたため、厳密にはツチノコではないようである。実際、同種のヘビは三重県白山町でも発見されている。

 しかし、このような奇怪な姿のヘビがいまだに発見されずに我々の側に生息している可能性もないわけではないのである。

 

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【UMA図鑑(39)】遺伝子操作の怪物「モントーク・モンスター」

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  比較的新しいUMAである遺伝子操作の怪物「モントーク・モンスター」。この名前は、米国の未確認動物学者ローレン・コールマン氏が名づけたものである。

 事件の発端は2008年7月、ニューヨーク州南部・モントーク岬の海岸から始まる。この海岸はロングアイランド西端に突き出た岬であり、潮流の関係だろうか、様々な漂流物が流れ着くことでも知られている。

 同地で発見された動物の死体は、まさに異形であった。頭部にはくちばしを思わせるとがった部分があり、異常に鋭い歯で、体毛は全くなく、体形も既存の動物とは違う形状であった。さらに、体長は猫サイズの小型であった。

「くちばしがついた犬に似た怪物」——このフレーズは世界中のUMAファンを興奮させた。

 日本のUMAファンは特撮映画「大巨獣ガッパ」を連想し、英語圏のUMAファンはC・ドイルによる「シャーロック・ホームズ」シリーズに登場する「バスカービルのグレイハウンド(日本語訳ではバスカービルの魔犬)」を連想した。

 この怪物の正体を推測する論争はヒートアップし、米国における陰謀論の大家であるジェシー・ベンチュラ氏の持論に似た闇のアンダーガバメントの謀略説を生み出してしまった。つまり、闇の勢力が作り上げた人工的な怪物だという話が流布されたのだ。

 他にも近い種類の生物の交雑から生まれたハイブリッド生物説、キメラ生物説、未確認動物説、甲羅が落ちたカメ説、ブルドッグなど犬説が唱えられている。

 特に有力視されたのが、遺体漂着現場から30キロメートルほど離れた場所にある家畜疾病センターから逃げ出した変異体という説である。このセンターは1954年まで軍の施設であったため、今も対外的偽装しながら軍事的な遺伝子操作実験をしていると噂されている。ちなみに後にセンター側は56年に農務省の管轄になり、軍の仕事とは一切関係なく、遺伝子操作は一切行っていないとコメントしている。

 他にも豪州のげっ歯動物である水ネズミ説、オポッサム説、カワウソ説が研究家・専門家によって出されている。

 名づけ親の未確認動物学者コールマン氏はモントーク・モンスターの遺体をラテックスで再現した複製を調べて、アライグマの遺体であると提唱した。このアライグマ説はなかなか説得力があり、四足歩行の哺乳類では珍しい“やたらに長い指”こそがアライグマだと言われる根拠であり、骨格も似ているとされている。

 このモントーク・モンスターと他のUMAを比較する動きもある。まずはチュパカブラである。このモントーク・モンスターの遺体は吸血生物チュパカブラと同類ではないかと、一部の専門家は推論している。また、2009年9月に中南米パナマで発見された体毛のない怪物「パナマクリーチャー」とも関連があるのではないかと言われている。

 この怪物の発見騒動は、08年7月12日に始まった。イースト・ハンプトンの町が所有するレインステイン・エステート公園はサーフィンの人気スポットであり、その日も多くの人々が集まっていた。この公園近くに来たジェナ・ヒューイットさん(26)ら3人の女性は、座るための場所を探していたところこのモントーク・モンスターの遺体を発見した。

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